The Fourth Three-Months

期限を切られた人生の中で何を糧に生きればよいのか

(オガタマノキ、2007年1月20日撮影。)
われわれは日常の生活を送る際、自分の人生に限りがある、などということを考えることはめったにありません。稀にですが、布団の中に入って眠りに着く前、突如、
・自分の命が消滅した後でも世界は何事もなく進んでいく、
・自分が存在したことは、この時間とともに進む世界で何の痕跡も残さずに消えていく、
・自分が消滅した後の世界を垣間見ることは絶対に出来ない、
ということに気づき、慄然とすることがあります。
個体の死が恐ろしいのは、生物学的な生存本能があるからである、といくら割り切っても、死が恐ろしいことに変わりがありません。
お前の命は、誤差は大きいが平均値をとると後1.5年くらいか、と言われたとき、最初はそんなもんかとあまり実感が湧きません。しかし、布団の中に入って眠りに着く前、突如その恐ろしさが身にしみてきて、思わず起き上がることがあります。上に挙げたことが大きな理由です。
上の理由を卑近な言葉で置き換えると「俺の葬式を見ることは絶対出来ないんだ」ということになりますか。こんなバカなことを皆さんお考えにならないでしょう。しかし、残りの人生が1,2年になると、このような変な思いがよく浮かんできます。
残りの短い人生をいかに充実して生きるか考えよ、とアドバイスを受けることがあります。このような難しいことは考えても意味のないことだ、という諦めの境地に達しました。私のような凡人は、人生が終わるという恐ろしさを考えないように、気を紛らわして時間を送っていくことしかできません。
死までの時間を過ごさなければなりません。どんな方法があるのでしょうか。
・現役なら、仕事が気を紛らわす手段になる。
・引退したら、何でもいいから、気を紛らわすことを見つけて時間をつぶすことだ。
・死が近づいたとき、むしろ苦痛にさいなまれて(短期間で勘弁してほしい)、もう早く死が来てほしいという状態になったほうが、むしろ楽だ。見取るほうは大変だろうが。
・自殺は考えない。簡単に負けるのもいやだ。
お恥ずかしいですが、とても有意義な人生を最後に送ることとはかけ離れています。
しかし、何とか死の恐れを克服する、いってみれば諦めの境地はないのだろうか。そのような境地を無論見つけてはいませんが、上の理由を超克する諦めの考えが一つ二つ思い浮かぶことはあります。
・幸い子どもたちが立派に成長した。親からもらった遺伝子の一部を次の世代に引き継ぐことが出来た。「時間とともに進む世界でほんの少しだが痕跡を残して消える」ことになるが、種の保存にささやかな貢献をすることが出来た。
・もっとニヒルになることもある。私にとって、早い死といっても、健常者と比べて10年から20年の違いではないか。みなと一緒だ、恐れるほどのことはない。
・さらにニヒルに。宇宙や万物は、何もないところから生成し、そして、いずれは消滅・死を迎える。遠い未来の話だが、「自分の命が消滅した後でも世界は何事もなく進んでいく」が、決してそれが永遠に続くことはない。いずれは万物も死に絶えるのだから、恐れることはない。
後の二つはちょっと情けない考えですが、一蓮托生の哲学によって気が休まります。
宗教はどうでしょうか。私は、
・絶対的超越者の存在を信じない。
マザー・テレサが神の子の実在を信じていなかったという記事(その1、
その2)を読んでちょっと安心した記憶がある。
・生前の世界、死後の世界の実在を信じない。輪廻転生も信じない。なぜなら、宇宙が生まれ死んで行くのは科学的事実だから、無限の過去から無限の未来に続く状態など存在し得ない。
・
佐々木閑先生からお教えいただいた古代仏教の修行には興味がある。その修行は大変厳しく、また集団で行うことが基本ということで、「苦」を解脱するため修行をしたいと思ったときには、体力を失い修行が無理な状態になっている。
・個人的に瞑想しても、諦めの境地に達するだけだ。
ニヒルで、取り付くしまがありません。
結局、充実した人生を送るための糧はまだ見つかっていません。
by FewMoreMonths
(2008/02/10 14:42)
人生
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