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かえるぴょこぴょこ CINEMATIC ODYSSEY
『善き人のためのソナタ』 

芸術は偉大。心にソナタが鳴り響く。
気高さと重厚さと深みを持ち合わせた名品。

1984年、東西冷戦下の東ベルリン。国家保安省(シュタージ)局員のヴィースラーは、劇作家のドライマンと舞台女優である恋人のクリスタが反体制的であるという証拠をつかむよう命じられる。

しっとりと静かにうたいあげられる上質な大人の映画。こんな作品をつくることのできるドイツという国が大人なんだなぁ。映画化することはタブー視されていたに等しいほんの十数年前まで蔓延っていた暗部を題材にして、その体制下で起こっていたことの恐ろしさを丹念に描き出している。『グッバイ、レーニン!』のようにヒューマンドラマをコミカルに仕立てたり、『トンネル』のようにスリリングなアクションドラマにしてエンターテインメント性を持たせることもせずに、こんなにも魅せてくれるのだから素晴らしい。

圧政下では時に人間はこんなにも卑しい行いをしてまうものであり、そんな状況で暮らすことがどんなに息苦しく辛いものであるかが落ち着いたトーンでビターに物語られる。しかし、すべてが絶望的なのではなくて、悲劇の中で、人間が人間であるゆえに感じることと行動することができるということを思い起こさせてくれる。切実なその苦味の中にほのかな甘みが溶け合っていて、コクのある深い味わいを残すのだ。テーマの崇高さに見合った着実な演出と構成がなされていて完成度の高さを感じさせる逸品。

“シュタージ”のことを知ったのは、春江一也の「プラハの春」を読んだ時だったかと思う。(表記はシタージだったような? 「ベルリンの秋」は未読。)その監視体制の恐ろしさにゾッとした。社会主義の独裁国家の圧政を知る際、何よりも人としていたたまれないと強く感じるのはいつも秘密警察と密告制度のことである。自由が奪われて、密告に怯えて生活すること、友人や近親者にも疑いや不信感を抱いてしまうような毎日なんて耐え難い苦痛だ。

シュタージはこんなふうに当然のごとく、盗聴装置を仕掛けていたのだなぁ。そして、忠実にその任務に励むヴィースラー。談話だけに耳をそばだてるのではなく、ターゲットの日常生活の隅から隅までを入念に聴き取り、事細かに報告書に記すのだから恐ろしくも呆れてしまう。人間という素晴らしい生き物の能力と精力がそんなことに多大に費やされることがあまりにも悲しい。人としてどんなに間違ったことであっても、その狂った体制下では真面目な仕事ぶりが評価に値するものだったりする。そんな状況の哀しさを、ユーモアを交えながらしみじみと感じさせてくれる描写が見事。

堅物な仕事人間として無味乾燥とした毎日を送っていたヴィースラーに、家宅侵入、盗聴という非人道的な疚しき行為を通じて、人間らしい感情が喚起されるという運びが実にいいんだな。「盗聴」というと、キェシロフスキ作品を思い出さずにはいられなくて、そのキェシロフスキ監督が愛と感情というものに最も興味をもっていたことに符合するように、盗聴によって他者の人生と生活に首をつっこむことが、淀んでいた感情を沸き立たせるなんて。愛の不在を思い知らせるなんて。人間はとても滑稽だけど捨てたものじゃない。原題の「DAS LEBEN DER ANDEREN」は他人・他者の生活・人生という意味。

人間が素晴らしいのは、芸術を創り出せることであり、その美しさに感動することができること。殺伐とした社会、寂れた生活、枯れた心に潤いをもたらす音楽。ベートーヴェンは紡ぎ出す音楽を神の息吹きだと言っていたけれど、それほどに超越的なものなのだ。そして、独裁者レーニンは、ベートーヴェンの「情熱のソナタ」を聴くと革命が達成できなくなると言ったという。そんな大きな力を持つ美しい音楽にヴィースラーのような者も不用意に心を動かされてしまうからステキだ。

権力者もそのシステムの中に埋没する者も小市民も芸術の前では悪しき人にはなれないのだ。そして、そんな芸術を創作することを生業としている芸術家達は、いつの時代も反骨の精神を忘れずに自由を愛して活動をする。音楽の力、ペンの力、人間の感性と表現力の素晴らしさを、愛と勇気の気高さを具に実感させてくれる。芸術活動さえも縛り付けられたその恐ろしき状勢を、映画という芸術によって省みることもまた意義深い。私たちはガブリエル・ヤレドの音楽に魅せられながら、ヴィースラーのほのかな喜びに胸をうたれ、この世界において大切なことを心の中で反芻する。


善き人のためのソナタ DAS LEBEN DER ANDEREN
2006 ドイツ  公式サイト[外部リンク] THE LIVES OF OTHERS
監督・脚本:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
音楽:ガブリエル・ヤレド / ステファン・ムッシャ
撮影:ハーゲン・ボクダンス
出演 ウルリッヒ・ミューエ、マルティナ・ゲデック、セバスチャン・コッホ、ウルリッヒ・トゥクール、トーマス・ティーメ
 (渋谷 シネマライズ)
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by CaeRu_noix
(2007/02/16 7:25)
CINEMAレヴュー
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