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ベルメール 1: 人形愛

ドイツ領(現ポーランド)カトヴィツェに生まれた
奇妙な人形師にして写真家[外部リンク]。しかもその人形は球体の関節と、独特なフォルム。
それらのオブジェが階段や台所、寝室など日常空間に設置されることで、シュルレアリストのいう「転置」の効果がそこに現われ、ありふれた場所に潜む闇を感じさせてくれます。
この男、
ハンス・ベルメール[外部リンク](
Hans Bellmer[外部リンク],1902-75)は、その子供時代を厳格で抑圧的な父のもとで過ごしました。その反面、母は彼を溺愛し、これが彼ののちの作品づくりに大きく影響したのはたしかでしょう。技師である父親の工具で「遊技的オブジェ」を作り始めたのは、二十歳を過ぎて1923年にベルリンに移り住みんでからのことです。

28年にはベルリン工科大を中退、結婚。
人形づくりを始めたのは30歳を過ぎた33年のことで、16歳の姪ウルスラへの歪んだ愛情を転移させたものともいわれます。翌年、初の写真集『人形』を自費出版し、これがパリ留学中のウルスラを通じてアンドレ・ブルトンらに手に渡ります。35年に雑誌『ミノトール』6号に人形が紹介され、36年にはフランス語訳が出版されました。
この間、美術館で見た一対の木製関節人形に触発され、球体関節を全面的に取り入れた2体目の人形を制作。これを室内外に設置し、構図・照明等に徹底した拘りをみせた
写真(のちの『La poupee』)[外部リンク]を撮影します。
作品のなかの人形[外部リンク]は、官能的な妖しさを湛えつつ端正で、生命を宿しているようでもあり、同時に遺棄された死体のようでもあります。
渋澤龍彦はこれらの人形を「肉体のスパスム(痙攣)」という言葉で表現しました。さらには、そこに近親相姦的コンプレックスを見るにいたっています。
1930年代も後半になると、ベルリンではナチスの台頭著しく、38年2月には妻マルガレーテが結核で死去。ベルメールは人形の部品とわずかな身の周り品のみをかかえてパリへ移住します。しかし、大戦勃発でドイツ国籍のベルメールは南仏レ・ミル収容所に送られ、そこで旧知のエルンストと再会を果たしたりします。
42年には再婚し、翌年双子の娘ドリアンヌとベアトリスが生まれました。ところが、夫婦仲はしっくりせず44年から別居、47年に離婚しています。その後、49年には南仏を離れてパリに戻り、ムフタール街88番地に居を定めました。
(つづく)
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