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ベルメール 2: ウニカ 

(承前)
 パリに戻ったベルメール[外部リンク]は40代半ば過ぎ、創作欲は旺盛でつぎつぎと銅版画などの作品を完成させます。
 1953年には母国ドイツのルドルフ・シュプリンガー画廊で母国初の個展を開いています。その会場で、彼は詩人[外部リンク]のウニカ・ツュルン(Unica Zurn[外部リンク],1916-70)に出会うことになります。ウニカは1942年に結婚していますが、49年に離婚。ベルメールと出会い、2人の子供をベルリンに残してパリで共同生活を始めることになります。彼女の絵[外部リンク]にもなにかが体内で増殖していくようなイメージがあって、それは晩年に描いたベルメールの絵と共通するところがあります。

 さて、2人のパリでの生活[外部リンク]ですが、それは穏やかさからは程遠く、過酷な闘争ともいえるものでした。57年にウニカが精神分裂病の症状を示し、60年には精神病院に収容され自殺未遂を起こしたりもします。
 ウニカの緊縛写真[外部リンク]を撮影たのもその時代、57〜8年のことでベルメール55歳、ウニカ41歳でした。
 この代表作シリーズ『Unica』こ、センチメンタリズムはなく、身体の各部位はただオブジェとしてそこにあるのみ。肉体を柔らかいオブジェとして捉え、それを細い紐で縛り、変形させてモノクロームの写真に写し撮っています。その淡々とした作業、殺伐として味気ない画面に、それでもすでに若くはない人間の痛みと同時に体温さえもほのかに伝わってきたりもするのです。

 69年、ベルメールは脳卒中で倒れ入院。鬱病のウニカはアパルトマンの部屋に閉じこもったきりになります。70年秋、ウニカはそのアパルトマンの窓から身を投げて自殺しました。
 神を信じないベルメールは棺に十字架をつけることを拒否し、部屋中に蝋燭を灯してウニカを弔ったといいます。その後、ベルメールは長い闘病生活を経て、75年、ガンのために亡くなりました。
 遺体はウニカとともにペール・ラシェーズに葬られ、墓石には「私の愛は永遠のなかに去ったおまえを追うだろう ハンス ウニカへ」と記されています。 (つづく)

by artshore
(2006/08/03 15:17)
写真(外国人)
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