ポール・オースター「最後の物たちの国で」 
「これらは最後の物たちです、と彼女は書いていた」と始まるこの小説は、主人公の女性アンナ・ブルームが誰かに宛てて書いている手紙の形式で書かれている。アンナは失踪した兄を追ってある国にやってきた。手紙はその国の悪夢のような様子を伝える。人は次々と死んでいき、目の前にあった物も目を逸らした隙に消え去り二度と戻ってこない。そして物とともに記憶も言葉も消えてゆく世界。そして世界とアンナ自身が限りなくゼロに収束していく中で、アンナは何を見るのか。
「これは現在と、ごく最近の過去についての小説だ。未来についてじゃない。『アンナ・ブルーム、二十世紀を歩く』――この本に取り組みながら、僕はずっとこのフレーズを頭の中に持ち歩いていた」とオースターはインタビューで語っている。しかし、この小説の時代設定がいつかだなんて悩んでもあまり意味がない。舞台はあらゆる意味でオースターの頭の中で作り出された世界であり、それ以上でもそれ以下でもないからだ。この作品から2年後に発表された「ムーン・パレス」を読むと、どうやらアンナの手紙の宛先は「ムーン・パレス」の主人公MSフォッグの友人ジンマーであるらしい。しかし二つの世界はもはや往来不可能に分かたれてしまった。アンナの世界はジンマーやフォッグが住む世界(おそらく我々の世界とより近しい世界)とは別の時間軸を持つパラレルワールドなのだろう。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」(村上春樹)を連想させる構図である。
「最後の物たち」とは具体的に何を指しているのだろう、と考えるとわからなくなってくる。もちろんあらゆる物が消え去ってゆく世界であるから、目の前にある物は無に変わる寸前の最後の物である、という言葉通りの取り方ができる。例えばアパートの前の死体。例えばラッパ。さらに物がなくなることで記憶がなくなってゆく。従って記憶こそが我々に残された最後の物だ、とも言えそうだ。さらには記憶が皆と共有できなくなったとき、言葉も無意味になってゆくから、言葉こそ最後の物である、とも。アンナはまさにその言葉をもってノートに物語を書きつづっており、アンナにとってはこのノートこそが最後の物かも知れない。そしてノートの中でアンナは願うのである。このノートがあなたにとって私を思い出すよすがとなる最後の物となって欲しい、と。オースターの物語世界にしばしば見受けられる、重層かつ重厚な構造である。
「何冊も出ているオースター翻訳書のなかで、この『最後の物たちの国で』が一番好きだと言ってくれる人は意外に多い」と訳者柴田氏は「Uブックス版に寄せて」に書いている。確かにホームページを通じて私に意見を寄せて下さる方々の中でも、1、2を争う人気の作品である。柴田氏いわく、「自分でも大好きな一冊なのにアメリカではなぜか埋もれてしまっている、とオースター氏が嘆いているだけに、訳者としては嬉しい限りである」。このホームページを通じてますます日本での読者が増えてくれれば、HP制作者としては嬉しい限りなのである。
-hiraku- (September 1999)
付記: 1999年からオースターHP[外部リンク]に掲載している紹介文を再録した。時が経ち今の自分の読み方とは違う部分もあるが、そのまま転載した。
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