Billy Boy Arnoldこと William Arnoldは1935年9月16日、Chicagoで生まれています。
ハープは独学に近かったと思うのですが、12才のときに近所に Sonny Boy I(John Lee Curtis Williamson)が住んでいることを知り、「サニー・ボーイになりたかった」と後にインタビューで語るほど彼のブルースに心酔していたようです。
訪ねていってチョークなどを教わったそうですが、三度目の訪問を目前にして、Sonny Boyの不慮の死に遭遇してしまいました。それでも、彼は「多くのものを学ぶことが出来た」と語っています。
とはいえ、Billy Boy Arnoldのハープには「それほど」その形跡は無いよな気がするんですが、ハーピストが聴くと判るのかな?あ、こゆとこサニー・ボーイゆずりだ、って。
彼には1936年生まれの弟、Jeromeがいますが、Billy Boy Arnoldとはもちろん、他にもウルフ、ブルームフィールドや、バターフィールド、Southern Comfortなどでもベースを弾いているようで、むしろロックの方で有名かもしれません。
さて、William Arnoldですが、彼より 8才ほど年上のストリート・ミュージシャンだった Ellis McDanielと組んで活動を初めます。
この Ellisこそ、後の Bo Diddleyで、いわゆる「Bo Diddley And His Washboard Trio」の誕生でした。1952年には、まだ10代ながら Chicagoの Coolレーベルと契約。「I Ain’t Got No Money」と「Hello Stranger(お察しのとおり、Sonny Boyにインスパイアさた作品)」を録音しますが、ここで Billy「Boy」Arnoldという名が決定しています。本人によれば「実際には17才なのに15に見られた。自称19才だったんだが」、やはりコドモっぽかったんでしょか?
1955年にはボ・ディドリーが Chessにレコーディング(「Bo Diddley/I’m A Man」からヒットの連鎖が始まるのですが、これがリリースされたときに Ellis McDanielが Bo Diddleyとなったそうです)。Billy Boy Arnoldはそのサイドをつとめ、Bo Diddleyを売り出すのに貢献していたのですが、やはり自分名義のレコードが出したかったようですが、チェスの Leonard Chessは彼をあまりよく思っていないみたいだ、という Bo Diddleyのハナシから Chessではなく VeeJayと契約をしてしまいます。
それでも Bo Diddleyのバックはしてたので Chessのスタジオで録音した時に、 Leonard Chessが Billy Boyにも「吹き込んでみる?」と声をかけたことで、嫌ってる、とゆう誤解(?)は解けたのですが、時既に遅く、以後 VeeJayに吹き込むことになります。
え?ガセネタわざと流したんじゃないか、って?う〜ん、そこら、なんとも言えませんなあ。
VeeJayで吹き込んだ「I Wish You Would」は地元局でヘヴィー・ローテーション扱いされるなど、ローカル・ヒットとなりましたが、どうやらエレクトリック・ベースを使用した最初のレコーディング・セッションだった、っちゅー説もあります。
その後も「I Ain’t Got You」、「She’s Fine」、「She’s Mine」に「Prisoner’s Plea」とヒットを連発し、僅か20才にして名声を確立しました。1963年には Prestigeから自身の初アルバム MORE BLUES FROM THE SOUTH SIDEもリリースしたのですが、次第にギグの動員も尻すぼみとなってバンドの維持もままならず、音楽から遠ざかってバスの運転手などをしてたよーです。
ところが(?)1960年代中ごろ、エゲレスで湧き起こった「ブルース・ブーム」が彼の運命を再び反転させるんでございますねえ。彼が VeeJayに吹き込んだシングルは一時、コレクターズ・アイテムとなったくらいです。その中の「I Wish You Would」と「I Ain’t Got You」はヤードバーズもカヴァーしておりますが、それ以外にもアニマルズやデヴィッド・ボウイなどが取り上げたことにより、Billy Boy Arnoldは一躍、注目を浴びることとなり、ついにはヨーロッパ・ツアーやヨーロッパでの録音の機会を与えられる、という「ふたたびの春」がめぐって来たのでげす。
そのキッカケとなった VeeJayへの吹き込みは CRYING & PLEADINGとして Charlyから発売されています。彼は、「One of the first Windy City blues singers(copyright Richie Unterberger)」と表現されたりもしていますが、それは、彼が他の地方からシカゴに流入したミュージシャン(そ、シカゴ・ブルースとは言っても、それを構成しているのはたいてい「おのぼりさん」なのよねん)ではなく、生粋のシカゴ生まれ&シカゴ育ちだった、っちゅうとこにあるのじゃ。
ま、だからどう、ってワケじゃないんですが。
Junior Wellsの葬儀では彼が「played an epitaph」とあって、普通なら葬別の辞を述べた、となるんでしょうが、「played」となっているので「葬送曲を演奏した」─かもしれません。
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http://www.applejam-mojoroux.com/applejam/cd_coment/billyboyarnold.html