1927年には Chrley Hicksは弟も含む The Georgia Cotton Pickersや、弟とのデュエットで Columbia Recordsに初吹き込み。
このとき何曲かの冒頭に「笑い声」のように聞こえる奇声が入っていたことから「 Laughing Charlie(あるいは Charley)」の別名がついた、とされています。しかし、日常の彼はまったくそのようなキャラクターではなかった、とされてますので、はたして?
それから 3年にわたり、彼は着実にレコーディングを続けましたがそこでリリースされたのは一部に過ぎません。
さて、あまり社交的とは言えず、その人的交流範囲も限られていた、と思われる Charlie Hicksですが、1931年の10月21日、Georgia州 Lithoniaで、弟の Barbecue Bobこと Robert Hicksをインフルエンザに起因すると思われる肺炎で失ったことが彼を打ちのめしたようです。
それだけでも大きな心理的打撃だというのに、その 2ヶ月後に今度は Eddie Mappeが理不尽な死を迎え、さらにその1年後には彼の義理の妹が、おまけに 2年後には母も死んでしまい、もはや彼の音楽につながるチャンネルがすべて失われていったのですから、ヤル気を無くすのも無理はないでしょね。妻とも別れてしまいますが彼女も後に肺炎で死亡しています。1935年には父の死、という具合に、妹(あるいは姉かも?)の回想によれば、彼の人生は「死別」の連続だったらしく、このあたりから彼はアルコール漬けとなっていったようです。
1955年のクリスマスに、彼は自分の内縁の妻が殴られそうだったので、それを阻止しようとした時、相手がボトルを投げ付けたのでやむを得ず撃った、として逮捕されますが、目撃者の証言はそれを覆すものばかりで、裁判の結果、彼は殺人罪で 20年の刑を得て服役することになりました。
彼は刑務所の中でも12弦ギターを弾いていたらしく、それについては Big Joe Williamsが監獄で12弦を弾く囚人に会ったことがある、と証言していますが、それが Charlie Lincolnだとは知らなかったそうです。