その後、Jimmy(あるいは Jimmie) Lee Robinson(昨年の 8月14日付の日記)とも出会い、彼のインタビューでは、その J. L. Robinsonのレコーディングに「ベースで」参加した、と言っていますが、それって 1959年あるいは 1960年あたりに Bandera Recordsに吹き込んだLonely TravellerやらAll My Lifeのことなんでしょか?ザンネンながら確認できず。
なお、その当時だと思うのですが、Musicians Unionから来てたマネージャー Armon Jacksonってのが、マディをもじって「 Clearwater」ってのはどうだい?と言ったらしいのですが、そのエピソードはもっと後のことかもしれません。
だって 1958年に彼のいとこでもあり、同じよーにレフティのギタリストでもあった Rev. Houston H. Harringtonが所有していたレーベル、Atomic-Hに吹き込んだシングル、Atomic-H 203(ただしHillbilly Blues と Boogie Woogie Baby のどちらが A面だったのか?については資料の間でも混乱が見られ、両方の説が入り混じっております。あ、ついでに同レーベルには 1959年に Atomic-H 956 I Don't Know Why / A Minor Cha-Chaも吹き込まれています。で、もひとつ、ついでに Rev. Houston H. Harringtonですが、Rev.でお判りのよーに聖職者で、とーぜん、そのレーベルもゴスペルをメインとしてスタートさせたものらしいのですが、やはり商業的見地からブルースにも手を広げておったのでしょうね。アルバムもリリースしていたらしいのですが、そのマスターは Delmarkに渡り、シングルはリイシューされたのですが、アルバムのほーはそれっきりでございます。もしかするとどれもゴスペルのだったのかな?)での名義は Clear Waters & His Bandとなっており( 1959年のシングルでは Clear Waters & His Orchestraですが)、おそらく、これが起源だと思うのですが、インタビューではそのことに一切触れてないんですよ。なんかそのヘンひっかかるなあ。
また、似ているようでも Clear Watersと Cleawaterでは違いますからね。たぶん Clear Watersは、そのいとこあたりが軽い冗談でつけたんじゃないでしょか?それに初期のころは自分を Guitar Eddyと、また組んでいたトリオを Eddy And The Cutawayと呼んでいた、とする資料も(ただしインタビューでは出てこないし、その名義での録音も確認されてはいません)ありますから、Clearwaterってのは 1961年の Federal録音以降の名称のようです。
ところで、その Atomic-Hのオーナー、Rev. Houston H. Harringtonの他にも Harrington一族がブルース界におりまして、それはなんと、あの Carey Bellだったのでございますよん。そー言えば Carey Bellも Mississippi州 Macon( 1936年11月14日生まれ)でしたねえ。
Clearwater自身はまったく知らなかったそうなんですが、後に Jim O'Nealが彼の家系について調べてゆくうち、その事実に突き当たったらしく、実際、Carey Bellのラスト・ネームも実は Harrngtonだったのだそうです。 The ChiefでのBlues For Breakfast で聴ける Carey Bellのクロマチックがひときわ感慨深くなりそなエピソードでございますわねん。