彼がそこから脱出できたのは 1929年になってから、と言われています。
中西部から Kansas Cityを経て New Orleansに辿りつき、そこで彼は Lulu Stiggersという女性と知りあい結婚しました。
ついで北上し、Chicagoに入ったのが 1936年で、さっそく自分のバンドを作りサウス・サイドを中心に演奏活動を開始しています。
その彼が音楽出版業者兼タレント・スカウトだった Lester Melroseの目にとまり、Vocalionへのレコーディング・セッションがセットされ、Willie "Bee" Jamesのギターに Fred Williamsのドラム、という陣容でLonesome Bedroom Blues とYou Got Good Businessがリリースされています。
一説ではLonesome Bedroom Blues、妻に去られたことが原因で生まれたブルース、と言いますから、その時すでに別れてしまってたんでしょか?
そっからほぼ 5年ほどは同様なナンバーを大量に吹き込んでいますが、その中にHighway 51 Blues というのがあるのですが、それはまた「別な」曲でございます。今日のナンバーは Bluesのつかない、タダの Highway 51。
さて、レコーディング・セッションのとこで「?」と思った方もおられるかもしれませんが、彼のピアノ&ヴォーカルのバックはギターとドラムだけで、ベースがいないんですねえ。
どうやらそれは当時の彼のライヴでのスタイルでもあったようで、時にはペット&サックスとドラム、という構成だったり、ともかくベースのいない編成を選んでいます。
ここらで思い出すのはThe Cat のハモンド・プレイヤー Jimmy Smithですね。彼も自分のハモンド以外にはギター&ドラム、ってえ編成でございますよん。ま、ハモンドの場合はフットにベース鍵がありますから不要だ、ってのは判りますが、Curtis Jonesもその左手が充分に低音部を埋めてける自信があった、ってことでしょうか。
第二次世界大戦が始まったあたりから彼の録音の機会は減少し、ブルースマンにとっちゃあ毎度お馴染みの「 Day Job」につくハメになったようですが、1953年にはようやく DJの Al Bensonの Bronzeville Record Manufacturing Companyに録音の機会を得て、Parrot(それまで、コールマン・ホーキンスなどのジャズ寄りの音をリリースしており、Curtis Jonesは Parrot初のブルースマンでもありました)からリリースされています。ただし、それも彼を再度スター(?)にしてくれるものではありませんでした。
1958年になると New Jerseyにあった Prestige Bluesvilleと接触し、その結果、1960年には New Yorkでレコーディング・セッションが実現します。この時のバックはジャズのトリオにブルース・ギタリストを加えたものだったそうで、それがアルバム Trouble Blues( BVLP 1022)でした。
これが彼を再浮上させることとなり、以後、毎週火曜の Chicago、Blind Pigでのライヴやイリノイダイガクでのコンサートにつながってゆきます。
さらにヨーロッパにわたったのが 1960年代の前期で、そちらでも評価されるようになっていました。
1963年11月にはロンドンで Curtis Jones In Londonをレコーディング(このアルバムはまだ聴いていませんが Percy MayfieldのPlease Send Me Someone To Love も演っているそーです)、さらにその後二年間はモロッコを中心とした北アフリカに重点を置き、つづいては地中海つながり(?)でスペイン、ギリシャからフランスへ回り、1968年(あの Magic Samの年でげすよ)の American Folk Blues Festivalにも参加しました。そこからまた三年ほど今度はドイツにとどまり、ヨーロッパをベースにした演奏活動に集中しています。