『ダ・ヴィンチ・コード』 (2) − グノーシス獲得としてのセックス 
なるべく他の人とは違う視角での批評を試みたいのだが、この本で強く関心を喚起させられたのはセックスの問題だった。小説『ダ・ヴィンチ・コード』の重要なテーマは宗教と性の問題であり、読者はセックスの問題について深く考えさせられる。すなわち、キリスト教以前は人間が普通に抱いていた「聖なる女性」の観念や女性崇拝の慣習が、教会によって否定され、異教的な倒錯や悪習として嫌忌され撲滅される対象となり、魔女狩りが行われ、女性の地位と尊厳が貶められると同時に、人間生活一般の中でセックスを不当に禁忌し卑蔑する観念が支配的になった。宗教の薀蓄が満載の小説の中で、一本の筋としてキリスト教における女性とセックスの矮小化の歴史が告発されていて、女性とセックスを本来の地位に復活させるべきだという基調が貫かれている。
宗教史を題材にした物語で薀蓄は豊穣でありながら、いまひとつ文学的な彫りの深さが感じられないこの作品だったが、ラングドンがソフィーにセックス論を講義する下巻の件(くだり)には大いに刮目させられる。ここに作者ブラウンの思惟と主張が強烈に投じられている。インパクトがある。男性であるブラウンの内面性を最もよく窺い知ることができる部分。すなわち意味剥奪されていた性の本源性の回復の思想。若干皮相的な印象はあるかも知れないが、メッセージとして確固としている。『ダ・ヴィンチ・コード』が米国で人気を博したのは、このメッセージによるところも大きかったのではないか。女性の読者は異論なく共感を覚えるだろう。そして男性の読者にもこの主張は心の深いところに確かに届くはずだ。現代はそういう時代だ。作者は若年ながら現代というものをよく心得ている。
性とは何かを男が男の言葉で語らなければならない。女が語ったセックスについてのイデオロギー暴露を男がセオリーとして是認し肯首するのではなく、ジェンダー主義にそのままホールドアップするのでなく、男が男にとってセックスとは何かを自ら肯定的に再定義しなければいけない。男が男にとって性が人生の重要事であることを正当に認めること。そのことが大事だ。そして神なき時代である現代、まさに男たちはグノーシス(霊知)を獲得して精神を救済するために、女との霊的な接合体験を切なく渇望して彷徨するのである。それは米国も日本も欧州も同じなのだ。セックスが唯一の神となり宗教となっている。自己を人として自然として崇高なものとして確かめられるのはそこしかなく、また他者を確認できる歓びもそこしかない。再発見した神聖セックスへの現代人の信仰は篤く、そこに渾身の情熱を傾ける。
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