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平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ
苦労とういうものの功罪、前編。壇ノ浦の真実と蒲冠者範頼。
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親愛なるアッティクスへ
昨日も飲んでました。
連休中
の
ダメージ
があったからでしょうか、相当に酔ったみたいでした。
帰宅後の風呂の中では、何度も、浮いてましたし・・・。
(浮くほど広くない・・・という突っ込みには、耳を貸しません(笑)。)
さらに、
ドーム
で、知人にばったり会ったのですが、私はその人を他の人と間違えて、ずっと、話していたような気がします・・・。
自己嫌悪の朝
でした(笑)。
さらに、起きて、気づいたら、
抜糸
したはずの
傷口
がぱっかりと・・・。
もう、しばらくは、酒は飲みません・・・。
どなた様も、
悪い誘惑
はしないで下さい(笑)。
でも、やっぱり、少しは・・・していいですよ。
いや、してくださいね・・・。
で、
「若いときの苦労は買ってでもしろ!」
という言葉がありますが、中には
苦労して人物が小さくなる人
もいるようです。
以前、
映画監督
で
コメディアン
の
北野武
氏が言ってたのですが、「弟子時代に、師匠にひどい仕打ちをされた奴というのは、自分が弟子を持つようになると、自分の弟子に、やっぱり、同じようなことをしている。おいらのように、のんびりした師匠をもったやつは、自分の弟子にも、そんなにうるさく言わない。」と。
これって、まさに、
嫁と姑
の
人間心理
そのものじゃないですか!
自分が、姑からひどい仕打ちを受けた嫁は、自分が姑となってからも、嫁に同じ事をするようで、昔の農村の嫁不足問題か何かのドキュメンタリーで、母親がフィリピン人の嫁に対し、二言目には、
「自分のときは・・・!」
と言っていたのを、おもわず、思い出してしまいました・・・。
私の親戚にも、二言目には
「俺は苦労した!」
という人がいますが、これなども、単に苦労の
し損
の典型のようなもので、その人がやってることは、弟子に自分が受けた仕打ちをしているだけの
自己満足
に過ぎないようで、となると、当然、弟子も長続きせずに辞めていくわけで、これも、その人に言わせると、
「俺の弟子時代はもっと、苦労した。今の若い奴は辛抱が足りない!」
ってことになるようです。
歴史上の偉人と言われる人たちにも、
苦労人
と呼ばれる人たちは決して少なくないでしょうが、逆に、自分が苦労した結果、
人物が小さくなった人
も見受けられるようです。
その典型が、
源 頼朝
でしょう。
頼朝は、少年時代に
敗戦
により父を失い、敵方の
囚われ人
となったことから、その後、長年の
軟禁暮らし
を強いられることとなりました。
そんな苦労の結果、頼朝は、
自己中心的
で
猜疑心が強い
性格になっており、宿敵、
平家の討伐
が終わった後に、用済みとなった末弟
義経
を殺したことは有名な話ですが、実は、他にも、もう一人、頼朝は弟を殺しています。
それが、
蒲の冠者範頼
です。
範頼について少し触れておきますと、源義朝の六男(頼朝の異母弟、義経の異母兄に当たります。)として遠江国蒲御厨(浜松市)で生まれたことから蒲冠者とも呼ばれる人物ですが、
源平合戦
においては、範頼は、戦いの多くで、頼朝の代理として正面軍総司令官を務めており、別働隊を率いて華々しい戦績があった、弟、義経の陰に隠れてはいるものの、彼の手腕は決して、凡庸なものではなかったようです。
義経は
少数兵力
による
果断
な攻撃で
華々しい戦果
を残したとは言え、
統率力
という点においては、
梶原景時
などとの
齟齬
にも代表されるように、必ずしも、秀でていたとは言えず、所詮は、遊撃隊の隊長クラスの人材であったとも言え、大軍の統帥という点では、むしろ、範頼の方が優れていたと言えるでしょう。
ついでに言うならば、
日本三大会戦
のひとつと言われる、
壇ノ浦合戦
ですが、実は、
大軍同士
の
ガチンコ対決
などではなく、単なる
掃討戦
に過ぎなかったという説があります。
(←現代の壇ノ浦・・・、つまり、
関門海峡
を
九州側
から見たところです。対岸に見えているのが、
下関市
ですね。複雑な潮流がおわかりいただけるでしょうか。)
壇ノ浦合戦前夜とも言うべき、
文治元年
(1185年)1月26日、苦心の末に、
補給線の確立
に成功した範頼は、周防国(山口県)より船出し、平家側の
哨戒線
に捕捉されることなく、九州
豊後国
(大分県)への
上陸
に成功し、そのまま、北上して、九州の平家方の
中核
を為す
原田種直
軍を
撃破
。
これにより、
彦島
(下関市)に本拠を置く平家方は、
後背地九州
からも敵の進撃を受ける形となったことで、
補給線
も
逃げ道
もない、事実上の
壊滅状態
となっており、
「壇ノ浦」
で
滅亡
することとなったときも、実際には、
建礼門院徳子
や、
安徳天皇
を始めとする、
非戦闘員
ばかりであったとも言われています。
こうなれば、もはや、
義経
の大活躍が必要な
「一大会戦」
と言うよりも、平家方の最期を飾るだけの、単なる
殲滅戦、玉砕戦
と言う掃討戦であったとも言えるでしょうか・・・。
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by heitaroh
(2006/05/10 17:41)
歴史
タグ=
頼朝
,
範頼
,
壇ノ浦
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