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イラク・ホープ・ダイアリー
命の時計 

4月23日にロイター通信から私のイラク入国に関する記事が配信されました。
その後、ラマディの小学校を訪問した時にもう一度記事が出ました。
写真はイラクの新聞、Al Zaman紙とAssabah Al Jadeed紙。
記事を見た友人たちから
「ウェルカム バック!(おかえり!)」
「マブルーク!(おめでとう!)」とメールや電話が来ました。





最後にイラク再訪と支援について地元のNGOと一緒に記者会見をしました。
地元の人でもなかなか入ることのできないファルージャの様子や、
平穏さを取り戻しても食料や医療などの問題山積のラマディの様子などを報告しました。
テレビ局が6つかな、来てました。


新聞やテレビに出たことで、アンバール州の惨状を全国的に知ってもらえたなら幸い。
ちょうど、北海道から送ったコンテナもグッドタイミングで現地に到着。
コンテナを開けたら、子ども用ベッドやぬいぐるみがたくさん出てきました。
3月の雪まだ深い冬の北海道から、灼熱のイラクまでよく来たね!とコンテナをねぎらいたいくらい。

シバレイさん森住さん[外部リンク]のブログにも写真が載っています。

少し、私の心の中を。

ちょうど5年前、2004年4月。
「なぜだ!日本はなぜ軍隊をイラクに送った!?」というイラク市民の怒号を浴びました。
「自作自演だろ!?あんなヤツ、死ねばいい。自己責任だろ」
という日本社会の怒号も浴びました。
2つの記憶はいつでも1セットでした。
私の命の時計はあの時のまま止まってました。

死んでしまえば…と考えたことは何度もありました。
でも、私が死を選ぶことは、イラクで殺された人たちを裏切ることになると思いました。
あの時、同じ時間、同じ場所で殺されていった人たち。
包帯1本届けられなかったことが悔しかった。
本気の怒りをぶつけられて、もうダメだと思ったのに、
私たちは生かされました。

生かされた命にできたのは、死者の無念を伝えることだけでした。
私にとってイラク報告会はお葬式でした。
いつもイラクで亡くなった人たちが私のそばにいたと思います。
この5年間、私は彼らに生かされていたと思います。
本気でそう思います。

今回、イラクに入国する前夜。
私の中で秒針が動き出すのをはっきりと感じていました。
「私はイラクに自分の命を置いてきたままだ」
そして、強く念じてイラクに向かいました。
「私はイラクに置いてきた命を取り戻す」

そう強く心に決めていても、
国境を越えてイラクに入ってから、身体が固まっていました。
イラクの人たちがたくさんいる中、しばらく車から降りることができませんでした。
みんなに「大丈夫だよ」と言われても、動けませんでした。
イラクと日本で受けたダブルショックの記憶がまとわりつきました。
「無理しなくていいよ、少しずつ慣れるさ」と友人たち。

少しずつ、一つずつ。
イラクの友人に出会うたび、新しい出会いがあるたびに、
私の消えない記憶は整理されていきました。

今回、テレビや新聞で取り上げられたことがうれしいのではなくて、
イラクの人たちに「ウェルカム!」と言ってもらったことが何よりでした。
本当に、よかった…。
続けてきて、よかった…。

今ふたたび、まっすぐに人を愛せる「平和」を自分の中に取り戻せた気がします。
5年経ってやっと、私の命の時計はちゃんと動き始めました。
私の2004年はやっと「過去」になりました。

2009年、イラクで出会った人たちが、私にもう一度「幸せ」をくれました。
写真の中でしか会ったことのなかった子どもたちに触れた時、
「幸せだぁ」と感じました。
ずっと、二度と幸せになんてなれないと信じていたのは、本当です。
だから、心から「幸せだぁ」と感じた時は、感動でした。

みなさま、今まで本当にありがとうございました。
イラク支援を続けて来られたのはみなさまのおかげです。
強くなれたのもみなさまのおかげです。

これからもイラク支援に精進します。
イラクはまだまだ支援を必要としています。
悲しい報せは今も届きます。
まだしばらくはみなさまのご支援を賜われますよう心よりお願い申し上げます。

合掌

by nao-takato
(2009/05/09 4:16)
心/瞑想

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