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グランド・マスター・ロック・レイダ: 1972-2009 

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アンソニー"グランド・マスター・ロック・レイダ"ウィリアムスは1972年5月17日にハーレムに生まれた。

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2年ほど練習してきたKrav Magaという(イスラエルの)護衛術のトレーニング中の事故で苦しんだ結果、心拍停止が原因で2009年9月19日に他界した。15歳になるエイジア(アジア)という娘もKrav Magaが大好きで、クラスでたったひとりの女の子であることが彼の自慢だった。

アンソニー・ウィリアムスはアフリカ系アメリカ人とプエルトリコ人の血を引いていた。 生まれ育ったハーレムにずっと住んでいたが、1997年6月26日にソウルメイトのTyeashaと結婚してからは、ブロンクスで暮らしていた。数年前にマイホームを持つというふたりの夢を実現すべく、家族でメリーランド州に引っ越した。いつか自分の美容室を開きたい、という妻の夢も応援していた。

12歳でDJを始め、ハーレムの地元のパーティーでまわし始める。1991年にはAS 1 DJバトルで勝利を手にする。1995年にはアメリカ代表としてDMC世界DJチャンピオンで勝利を勝ち取る。NY出身でこの肩書きを手に入れたDJは彼が最初だったことで、DMC/Technics DJのホール・オブ・フェイムの座に就任する。彼はプロのヒップホップDJとして、常に情熱を持って人生と向かい合った。自分の職業で世界をツアーする幸運に恵まれた。ウィリアムスはショウビズ&AG、ロード・フィネス、クール・G.ラップなどのアーティストとの仕事や、最近ではバスタ・ライムスの専属DJとしてツアーを回る名誉も手に入れていた。

家族には"Ant"(アントゥ:アンソニーの略)と呼ばれていたが、世界的に有名なDJロック・レイダとして知られていた。1999年には、ロックンロール・ホール・オブ・フェイム&美術館の会合で、ヒップホップDJの先駆者たちより「グランド・マスター」という称号を授かった。

他界する前、3人の子供の中で一番DJに興味を示していた10歳になる娘、ナイラに、「お父さんの後を継いでDJになってくれ」、と伝えていた。父の意思を受け継いだナイラのDJワークには要注意だぜ!

ターンテーブルでは実に積極的なスワガーぶりだが、ロック・レイダを知る者は彼の謙虚さに打ち負かされてしまうのだ。「彼は自分のあまりの知名度にいつだって驚いていたわ」と妻のTyeashaは語る。しかし彼は決してそれに甘んじることはなかった。ウィリアムスは非常に控えめで目立ちたがらず、穏やかな人物としても知られていた。その自制心は称賛に値するが、いったんキレてしまうと獣のように吼える人物でもあった。事実、まさにそのせいで、ロード・フィネスには「静かなライオン」と呼ばれていた。彼と親しい友人は、冗談を言って笑うのが大好きな、むちゃくちゃおもろいコメディアンとしての彼の一面も思い出す。

バトル、パフォーマンス、レコーディング、ドキュメンタリー、ビデオ、DVDやペプシのCM通して、ロック・レイダはパーティーやバトルで何千人ものDJに影響を与えた。やる気溢れる何人もの新人DJの個人指導にもあたった。X・メン、後にエクスキューショナーズと呼ばれる伝説的なタンテーブル・クルーのメンバーの一員として、レコード愛を通じた兄弟たちと共に、世界中を嵐に陥れ、革新的な影響とインスピレーションに溢れたスキルで圧倒した。2006年にはヒップホップDJバトル・シーンの前進と貢献を目指し、「ロック・レイダのゴングDJバトル」を創設し、接戦するタンテーテーブリストたちの器用さに、笑いと人情劇を絶妙に融合させた毎年恒例のイベントを行った。

彼はDJ世界チャンピオンであっただけでなく、家族を愛する父親、夫であり、忠誠なる友人だった。ロック・レイダよ、安らかに眠りについてくれ。We are really going to miss you!

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お葬式と故人との対面: 2009年9月24日(木)
対面:朝10時〜昼12時
お葬式:昼12時

Mount Neboh Baptist Church
1883 Adam Clayton Powell Jr. Blvd. (W.114th St. & 7th Ave)
New York NY, 10026
Phone: 212.866.7880
http://mountneboh.org[外部リンク]

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『ヒップホップのゴッドファーザーのひとりである彼の死は、DJコミュニティーにとって大きな痛手となった。素晴らしい才能を持ちつつも、穏やかで実に物静かな人物というのは非常に珍しい。彼のスキルのレベルは世界中で称賛されていた。彼のスピンする姿を見るのは本当に楽しかった。個人としての彼を知るのは真に喜びだった。ご家族にお悔やみを申し上げます』 グランドマスター・フラッシュ

『親友の他界に心が痛む。家族、友人、音楽、人生において同じ価値観を持つレイダは、俺にとって兄弟のような存在だった。彼の不在は寂しいが、彼のことは忘れやしない。ヤツの奥さんと子供たちに祈りを捧げる。安らかに眠ってくれ、グランド・マスター・ロック・レイダ!』 グランド・ウィザード・セオドア

『ベストの中のベストを見尽くしてきたと信じていた俺たちにとって、ロック・レイダはターンテーブルの革新的存在だった。彼はまるでなんてことはないかのように芸術的な妙技を見せつけ、若い頃のグランド・ウィザード・セオドアを想い起こさせた。頭でっかちなアーティストが多い中で、彼の穏やかな態度を見るのは実に喜ばしかった。若大将に敬礼、俺たちの最年少のグランド・マスターよ、安らかに眠ってくれ!』 グランド・マスター・キャズ("ラッパーズ・ディライト"のオリジナル作詞家)

『神は今ごろ、バンドを組んでいるところさ。最近じゃマイケル・ジャクソンが呼ばれたばかり。でもマイケルのスキルに見合うレベルのDJってのがいなかった。だからは神はグランド・マスター・ロック・レイダを呼んだのさ』 DJスクラッチ

『レイダに出会ったその日から、ヤツは誰よりも謙虚で、強い意志を持ち、本物で、決定的な競争者だった。俺の歴史書で一番偉大なDJさ』 ロード・フィネス

『グランド・マスター・ロック・レイダはターンテーブル史上、最も偉大なDJのひとりだ。X・メンやISP、ビート・ジャンキーズのような途方もない世代の直後に出てきた俺やクレイズのようなヤツにとって、レイダはバトルDJとして決定的なインスピレーションを与えてくれた。彼を個人的に知っていた人にとって、レイダは誰よりも優しくて、誰よりも寛大でおもろい友達だった。俺にとってはメンターのような存在で、この何年もの間で、彼がどれだけ俺を助けてくれたか知れない。まるで血のつながった兄を失った気分だ。彼の不在が寂しいよ』 AJ A・トラック

『レイダはいっつも私の事気にかけてくれて優しかったなぁ・・・。めちゃめちゃDJしてる時かっこよくて、がんばり屋さんで、私やDJのみんなのアイドルだったけど、おじいさんみたいに控え目で?、天然でめちゃかわいい人だった。うそをついたら、鼻のあたまにブワーと汗をかくくせがあるし。でもプライドを傷つけられることがあるとむっちゃキレる人でもあった。小ちゃい背中にいっつもおっきいバックパックを背負ってて、頼りなさそうなのにステージにあがってDJするといっつも120%のかっこいい仕事をするんですよ』 DJジュン

Photo by Res One[外部リンク]


Rest in Peace: Grand Master Roc Raida ... Funeral info for Sept. 24 + Accurate Info[外部リンク]より翻訳。(except for DJジュン)こちらはレイダの奥さんから公表された正式情報を元にTools of War[外部リンク]のChristie Z-Pabonさんが執筆されたレターです。


ありがとう、レイダ。

by kokosoul
(2009/09/24 14:32)
dj
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