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スマトラ沖地震体験談 


英会話で先生が体験した地震の話をしてくれた。あまりにもリアルで夢中になって1時間半聞き入っていた。すごい体験なので忘れないように記しておきたいと思う。(了解済み)私のリスニング力がいまいちなので間違って解釈しているかも?彼はスマトラのJambi(たぶん、地図をかいて説明してくれたが地名を忘れた。)あたりにいた。友達はバンダアチェにいて、会う約束をしていた。
7:30 大きくゆれて目の前の大きなホテルが全部崩れ落ちた。何が起こっているのかわからなく映画の撮影かテロではと思った。すると大人は子どもの手をひいてみんな丘に向かって走り始めた。周りの人に聞いても現地の言葉でわからなかった。そのうちトランクを持って逃げているいる外国人にきいたら‘TSUNAMI'というのだが聞いても意味が理解できなかった。とにかくみんな逃げているので丘にむかって走った。荷物はホテルが壊れてしまってない。やっと小さな丘に逃げる(海から500mくらいのところ)と8〜10mくらいの黒い波がきて家や車などを飲み込んでいった。こわくて凍ってしまって動けなかった。丘は安全だった。大きな家やバスがまるで紙のように水の中に浮いていた。すべてのその場所がくさくなった。たくさんの人が「たすけて、たすけて」と叫んでいた。3000人位の人が海の中にいた。多くの子どもが溺れていた。ロープを渡してひっぱりあげて何人も助けた。その中にstrong manがいた。自分が海の中に引き込まれそうになった。手を放して助けられなかったことを悔いた。取材記者がカメラやビデオで撮っているのでなぜ助けないのかと言うと機材を海の中に投げて助け始めた。友達が心配になり電話しようとしたが1分10000円、しかもいっぱい並んでいて5時間待ち。他の場所に行った。
10:00余震があった。6m位の波がきた。多くの家、すべてが破壊された。何人かの人が電線につかまっていて「help me]と叫んでいた。船は運転できないのでボートでいってそこにおろしてあげた。その後空港に行った。すべてのフライトが欠航だった。幸運にもポケットにお財布が入っていた。3万円と赤十字のボランティアIDカードが入っていた。バンダアチェ行きの赤十字の救援のヘリコプターに乗せてもらい、ボランティアをしながら友達を探した。赤十字の人に何が起こったのが聞いたら津波という災害だと教えてくれた。着くとそこら辺にどこにでも人形のように人が浮いていた。生きているかどうか調べるためにたくさんのホイッスルを投げ込み、もし生きていたら笛をふくようにとヘリコプターから呼びかけた。笛を吹いた人を5人ずつ助け陸に運びまた5人助けて運び・・・・・4時間作業をした。友達は見つからなかった。動物がすきで彼に会う前に見に行ったのだという。友達の家にTELしたら、全然知らなくてどこかに旅行に行っているという。津波のことを説明し、どこにも行かず電話のところにいてくれとたのむ。  
6:00(PM) 大きな懐中電灯を持って人々が生きているかどうか調べてまわった。突然動いたので戻って調べるとさめのようだった。ほとんどの人が死んでいた。1艘の大きな船がきてその辺の人を助けて運んだ。立っているだけで埼京線のような混みようだった。大きな紙に「Wait We will come back」と書いた。
10:00 外国人の一時的な収容キャンプがあった。900人位、リストはない。友だちを探したが見つからない。
12:00疲れた、多くの外国人が怪我をしている。痛くて泣いている人もいる。2〜3人の医者がいた。2〜3時間寝た。
友だちを探しながら空港に寝た。お腹がすいたし寒かった。パスポートもチケットもないのでイギリス大使館に行って帰れるよう手続きをした。でも飛行機待ちをしている人1000人。
地震後7日後に帰れた。その間何も食べてなくて水とココナッツジュースだけだった。3万円のうち1万円はお金がなくて困っている人にあげ、残りで空港で家に電話した。すると、母親が食べ物をいっぱい持って空港(イギリス)に迎えに来てくれた。1月6日に友だちが亡くなったことを知った。
帰国後その瞬間を大切に生きることを学んだ。





by mam255
(2005/01/23 12:52)
日記

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