写真でイスラーム

葦と竹(1)…マーシュアラブの葦の家
かってメソポタミア文明が栄えたのは
チグリスとユーフラテスの二つの大河が、メソポタミア平原を潤しながら滔々とながれていたからで、そこで麦の野生種が人間によって栽培され、保存食糧として蓄えられるようになったことから古代文明は始まった。
起伏のないメソポタミアに大河が2つもあるということは、水量の多いときには時にはあふれ、時に蛇行し、その中で広い広い湿地帯を形成した。西アジア有数のこの湿地帯は関東地方ほどもあったと言われる。
イラク南部のバスラより北部に当たる地域に3〜4mにもなる葦が繁茂する
水と緑の世界があった。周囲が乾燥したところであるだけに緑の葦と水と小船の行き交う地域は、アル・ジャンナ・・・天国とはここのことかと思われたに違いない。
◆
マーシュ・アラブの葦の家

(↑読売新聞社 シルクロード額絵より引用)
このマーシュアラブの土地では、土地そのものが水のあふれる沼沢地なので、かろうじて見える土の上に石を積みその上に葦の家を建てる。材料は際限なくある。
新築する時はまず、1ヶ月ほど葦を切り集める。次にそれを太い柱のように集めて結わえていく。これが家の骨組みになり、次に壁にする部分を編んでいく。そうして2ヶ月かけて家をつくる。
内部は広く高さ7〜8m。10年の耐久力があるというからたいしたものだ。
敷地を広くしたければ、葦を敷き詰めながら広げていく。ちょっとした手作業で我が家を拡大していくことができる。だから、各家は沼地に島のように点在し、その広さは100〜200坪もある。隣家へいくのも葦を刈るのも船を使う。葦の茎はカサブーといい、これを木槌で打ってつぶしそれを編んで敷物もかごも作った
。(家のつくり方については上記の額絵解説文を参考とした。)
B.C.2500の円筒印章にもこの葦の家は描かれており、
シュメール人の昔からの伝統的生活がここに残されていた。
西アジアというと荒涼たる砂砂漠・礫砂漠のイメージばかりがイメージになっているが、四大文明発生のところは皆、水の恩恵が著しいところであった。
◆制裁

しかしながら、サダムフセインの時代に、他の地域の水資源不足解消のためこの沼沢地への水の流れをせき止めてしまった。これは政治的に反対部族を制裁するためだったとも言われている。そのためこの沼沢地は危機に瀕し、住んでいた人々は他の土地へ移住せざるを得なくなり現代の水難民の悲劇を生んだ。
←フセイン肖像(フセイン時代の紙幣より。現在は使用されていない。それだけに貴重。S氏にいただいた。感謝です!)
◆回復へのプロジェクト
現在、わずかに残った人々がまた貧しいながらここでの暮らしを立てており。また国連を中心に日本の出資もあってある程度回復への道をたどっている。
ただし水は今後どの国でも不足するということがわかっている大きな問題であり、その中でチグリス・ユーフラテスの水をどの国や州がどの程度取水していくのかという利害関係はずっと続くであろう。日本のようにここの水に利害関係のない国は純粋な援助で出資しているが、欧米の中にはこの水を友好国へと考え出さないとも限らない。
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いずれにしろ、イラクは国を安定させ私利私欲もうらみも忘れて自分たちの国を守るという気にならないと、伝統は失われ、資源は盗まれ、自然さえも消えてしまいかねない。
伝統的暮らしには秩序と尊厳がある。
いったん失われた尊厳はなかなか取り戻せない。
(これって日本のことでもあるかもしれない・・・)
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