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名古屋名物 台湾ラーメン 

  2005/01/07 2005/01/11のエントリで、名古屋四大麺類とは、「味噌煮込」、「きしめん」、「あんかけスパゲッティ」、「台湾ラーメン」である、と書いた。今回は、最も歴史が新しい「台湾ラーメン」について書いてみる。



 写真は名古屋系ラーメンチェーン"藤一番"[外部リンク]の「台湾ラーメン」である。チェーン店の台湾ラーメンと馬鹿にすることなかれ、なかなか気合いが入った美味しい台湾ラーメンである。多くの台湾ラーメン有名店の開店時間が17〜18時であるのに対して、「藤一番」は11時から開いている。昼食に台湾ラーメンが食べたくなったときなど、至極重宝である。

 名古屋のラーメン店では、「醤油」、「味噌」、「塩」の次に「豚骨」が来るか「台湾」が来るか微妙、というくらい台湾ラーメンは広く普及している。店によって若干違いはあるものの、標準的な名古屋式台湾ラーメンは以下のような食品である。

 ベースは鶏ガラの醤油ラーメン。炒めた挽肉と赤唐辛子の微塵切り、薄切ニンニク、ニラが大量に乗せられている。トッピングはモヤシ、ネギがデフォルト。通常、チャーシューは乗せない。(台湾チャーシュー麺は別) シナチク、ナルト、海苔なども乗せない。
 食べ方は特に変わった点はない。一口食べると、その辛さにのけぞる。舌がビリビリする。口の中が熱い。食べているうちに脂汗がタラタラと流れる。飲み込めば胃のあたりがシクシクと痛む。いわゆる「激辛ラーメン」である。もちろん、辛いだけではない。次第に、鶏ガラスープの滋味がじんわりと口の中に広がる。これが名古屋式台湾ラーメンである。

 ところで、この台湾ラーメン、本場と思われる中華民国"台湾"には存在しないという。日本国内でも普及しているのは名古屋だけという実に不思議なラーメンである。ならば、なぜ、「名古屋名物=台湾ラーメン」となったのであろうか?

 もともと、名古屋には激辛ラーメンを好む土壌があったように思われる。八事日赤病院至近の四川料理店"栄華楼"の"栄華麺"[外部リンク]は、1967年の創業当時から、その真っ赤な激辛スープで評判となっていたという。おじさんが学生時代を過ごした1970年代後半、名古屋で激辛ラーメンといえば"栄華麺"のことを指した。"栄華楼"の付近には、南山大学、名古屋大学、中京大学、名城大学など多くの大学があり、そうした大学の学生たちの間で、"栄華麺"は静かな、しかし熱い人気を集めていたのである。

 この時代、若者を中心に人気を集めていた中華料理店が、もう一軒あった。今池に本店を置く台湾料理店"味仙"[外部リンク]である。
 おじさんたちは、ちょっと小金ができると、味仙に行った。そして、「ニラ卵炒め」、「鶏手羽先」、「アサリ炒め」、「カエルの唐揚」、「台湾ちまき」などを食べ、大量のビールを飲んだ。すべてにおいて美味かった。この店は唐辛子を使った料理が多く、その激辛さ加減は今までに体験したことがない新鮮なものであった。
 "味仙"の多くのメニューの中には、「台湾ラーメン」もあった。味は現在と変わらず、小振りのドンブリで提供されるのも現在と同じである。昨今ほど前面に押し出してはいなかったが、この台湾ラーメンこそが、現在の名古屋名物となった台湾ラーメンの源流なのである。

 "味仙"の経営者・郭明優さんは台湾出身者である。1970年代はじめ頃、台湾の担仔麺(タンツーメン)をベースに、激辛に味付けしたのが「台湾ラーメン」の始まりだという。そもそもは、厨房内の名前もない「まかない料理」であったのを、常連客から頼まれてメニューに載せるようになったものだという。メニューに載せる際、適当な名前を思いつかず、「台湾人が作ったのだから、台湾ラーメンでいいか」と、軽い気持ちで命名したのが名前の由来だとか。とはいえ、このとき、「栄華麺」のように固有の名前を付けていたら、果たして現在のような「台湾ラーメン」ブームが到来したかどうかは疑問である。一般名であればこそ、どこの店でも作れるのだし、意味不明でも分かりやすい名前というのは流行するのである。

 "味仙"の「台湾ラーメン」は、当初、知る人ぞ知る隠れた人気メニューであったが、1980年代後半の「激辛ブーム」で一躍脚光を浴びることになった。そして、1990年代に入り、味仙で修行した料理人、味仙で調理のヒントを得た料理人たちによって、「台湾ラーメン」は次々と名古屋市内各地に広がっていったのである。そして、この新しい味は、多くの名古屋人によって受け入れられ、今日の台湾ラーメンブームに至ったのである。激辛ブームが起爆剤であったことは間違いないが、それにも増して、名古屋には激辛ラーメンが受け入れられる下地があったと考えるべきであろう。

 もとより、「味噌煮込」、「赤だし」、「味噌カツ」など濃厚な味の食品が好まれる土地柄である。台湾ラーメンに先行して普及した"あんかけスパゲッティ"も濃厚な味の上、胡椒が強烈に効いており、非常にスパイシー、一種の激辛料理といってもよいほどである。1970年代後半から普及が始まった、"風来坊"[外部リンク]、"世界のやまちゃん"[外部リンク]などの鶏手羽先唐揚も、胡椒がしっかりと効いた非常にスパイシーな食品である。どうやら、最近の名古屋人は、濃厚な上にスパイシーな味を好むようになってきたと思われるのである。
 このような味覚を持つ名古屋人の前に、1980年代後半の「激辛ブーム」が訪れた。すでに、一部の激辛フリークの間では"味仙"は十二分に有名であったから、「台湾ラーメン」は一気にブレイクしたわけである。

 おじさんが、辛いもの、くどいものが好きなのも、すべて名古屋という土地が育んだゆえである。おじさんは、岐阜県関市で生まれ、9歳まで東京で育った。生粋の名古屋人ではない。しかし、後天的に刷り込まれたDNAは、時として、血よりも濃いように思われる。


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えすの名古屋ラーメン記録帳★一日一麺!11月13日夜メシ 如水@東区徳川町にTB



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2005/06/07 追記
"元祖・台湾ラーメン 味仙・矢場町店"のレポートを書いたので、興味のある方は参照してください。味仙オリジナル台湾ラーメンの写真があります。





by xylocopal
(2005/01/21 0:03)
Ramen

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